私の政策・考え方 御著書『沖縄保守宣言』の内容説明!

國場幸之助先生

講話日:令和元年11月25日(月)

國場幸之助先生

衆議院議員、沖縄県那覇市御出身

講演要旨

沖縄の遺骨
 1972年(昭和47年)5月15日に、沖縄は返還された。私はその翌年1973年(昭和48年)生まれなので、沖縄復帰世代と言われている。
 家業がもともと建築業だったので、よく知っているのだが、沖縄ではよく工事中に不発弾が発見される。すると工事が止まる。それともうひとつ、文化財がでてきたときも止まる。しかし、遺骨がでた場合は、工事は止まらない。これはどうしたことだろう。多くは戦争で亡くなった方の遺骨である。もっと丁重に扱うべきではないか。
 アメリカ兵の遺骨はひとつもでてこない。アメリカは最後のひとつまで探して持ち帰るからである。また、沖縄にある米軍基地の名前に「キャンプ○○○」とあるが、あれは司令官の名前ではない。沖縄戦で亡くなった海兵隊員の名なのである。
首里城
 10月31日に首里城が消失した。過去にも4回の火災(破壊)があり、再建されてきた。消失した首里城は1992年に再建されたもので、1945年にアメリカ軍によって破壊された後の再建だった。なぜ、首里城が攻撃されたかというと、日本軍の32軍が首里城の地下に基地をつくっていたためだ。そして戦後、首里城跡には、琉球大学が建っていたが、再建する話がまとまって、移転し、もともとの地に首里城を再建した。
 首里城の正殿に使われていた木材は、もともとはチャーギ(イヌマキ科の常緑高木)である。前回の再建では台湾のヒノキを使用した。しかし、現在は台湾で伐採できなくなっており、同様にはいかない。沖縄県内には、建築に使えるようなチャーギはない。前回焼失後、北部の国頭村(くにがみそん)にチャーギを植えたのだが、チャーギは成長が非常に遅い。このため建設に使えるようになるまでには、あと100年かかるそうだ。
 沖縄には万国津梁(ばんこくしんりょう)の精神というのがある。「万国津梁」とは、世界を結ぶ架け橋になれ、という意味。また、守礼門の「守礼」の精神もある。これは、礼の力で世界を平和にしよう、という意味である。首里城は、祈りの場でもあった。
国内の米軍基地は自衛隊が管理すべき
 ドイツなどヨーロッパの多くの国では、米軍基地の管理権は、その国にある。日本には、なぜそれができないのか?  ひとつは憲法第98条の国際法規順守の規定があって、日米安保条約や日米地位協定の規定があるためである。

憲法第98条 この憲法は、国の最高法規であって、その条規に反する法律、命令、詔勅及び国務に関するその他の行為の全部又は一部は、その効力を有しない。
2 日本国が締結した条約及び確立された国際法規は、これを誠実に遵守することを必要とする。

 そして、日米地位協定がなかなか変えられない理由は、日本側に相互防衛義務がないためだ。つまり、アメリカ側は日本を守る義務があるが、日本側にはない、という点である。酒場で米兵に話を聞くと、「日本はずるい。自分の国は、自分の国で守れ。われわれはアジアの平和のために、命を懸けているし、多くの兵士が死んでいる。自衛隊の隊員は、戦闘で死んでないじゃないか」という。
 意外に思われるかもしれないが、沖縄の基地は、多くは1952年4月28日の、日本独立の日(サンフランシスコ平和条約発効の日、沖縄はまだアメリカが管理)以降にできたということ。普天間基地も戦後11年後にできて、山梨県にいた海兵隊がきたのだ。
 日本が主権回復するには、まず基地の管理権をもつことが必須である。

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