分かりやすい憲法改正学へのすすめ
──その6「現行憲法第九条の問題点」──
講話日:平成27年3月27日(金) 清原淳平会長
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講演要旨
9条については、『独立国の体裁をなしていない日本国憲法』という小冊子を私が書き、平成3年の憲法大会で配布した。これを読んだブレーン出版から、本にしたいという申し出があり、『憲法改正入門』として出版している。以下、第九条の条文について論じる。
(1)第九条のすぐ下に〔戦争の放棄、軍備の不保持、および交戦権の否認〕と書いてある。これは、自国の安全を、他国ないし国際機関に委ねる形。まさに独立国の体裁をなしていない憲法であり、植民地憲法といえるものだ。宗主国は植民地に憲法をもたせる場合がある。たとえばアメリカの植民地だったフィリピンの最初の憲法では「戦争放棄」などが日本国憲法と同様に記されている。
(2)「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し」の部分は、あたりまえのことである。うがった見方をすると、いままで「正義と秩序をもたずに国際社会を日本が乱してきた」ことに対する詫び証文のように読める。
(3)「国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、」の部分について。「国権」とはsovereign right of the nationの翻訳であり、国際法学者たちは「国家の基本的権利」だと言っている。その考え方によると、戦争は国家の基本的な権利である。ところが日本の憲法学者は、「国権」は「戦争」の枕詞で意味はないのだと主張する。また「武力による威嚇」は、ペリーの黒船のように威圧すること。「武力の行使」とは宣戦布告なしで戦争をはじめることであり、これらは自衛の場合や国連決議後の制裁のためであれば可能である。
(4)「国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。」の部分。1928年にヨーロッパで不戦条約が結ばれたが、不戦なのは侵略戦争だけであり、自衛戦争は含まれていない。つまり世界の常識では自衛戦争は許されている。日本だけ、自衛戦争もいけないと解釈するのはおかしいのではないか。
(5)「陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。」の部分。憲法が公布された後、すぐに朝鮮戦争となった。マッカーサーはあわてて、警察予備隊をつくり、それが発展して自衛隊となった。政府の見解としては、自衛隊は「戦力」に達していない、ということである。
(6)「国の交戦権は、これを認めない。」の部分。「交戦権」は当会としては、攻撃、臨検、拿捕の権利である。日本の多くの憲法学者は「国が戦争を行う権利」であると言っている。つまり、戦争は行えないという立場である。
(7)第二項の「前項の目的を達するため、」の部分は、芦田均 衆議院帝国憲法改正小委員会委員長が、「再軍備を進めるために入れた」と発言したとされたが、後に、森清衆議院議員が議事録をすべて調べたところ、そうした発言はなかったという。ただ我々も戦争をやりたいわけではない。岸信介先生もおっしゃっていたように「万邦協和」の精神で、近隣の国々と仲良くやっていくべきである。