憲法改正手続をめぐる学界の論議
講話日:平成25年10月29日(火) 高乗正臣先生 平成国際大学副学長・同大学院教授、憲法学会理事長 |
講演要旨
秋の憲法学会において、日本大学の池田実教授の「憲法96条改正の正当性」について、批判が相次いでいたので、今回はこれを取り上げたい。まず、政治的勝者が国家統治の仕組みを創設し、本人にその自覚がなくても憲法をつくることになり、その後、主権が確立され、それを正当化する理論が構築される。憲法改正権が制憲権と同質であり、改憲手続きを踏めばいかなる内容の改正も法的に可能であるとする改正無限界説が主張されたが、複数の会員から疑問が提起された。憲法改正無限界説によれば、皇室の制度も廃止できることになる。
帝国憲法以来、わが国の学会の多数説は憲法改正限界説に立っており、現行憲法でいえば国民主権、基本的人権の尊重、平和主義、国柄規定については改正できないと解されてきた。フランスやドイツのように、共和制や連邦制等、統治機構に関する部分や基本的人権については、明文で改正を禁止する例もある。もう一つ批判が集まったのは96条の改正手続論である。そもそも憲法改正とは、憲法自体に定めた手続きに従い、憲法典の条項を修正・削除・追加して、憲法に意識的修正を加えるものと定義される。池田教授の報告では、総議員の3分の2以上をクリアすれば、国民の多数意思が擬制されているのだから、その後に国民投票を義務付けるのは無意味だと述べていたが、これは疑問である。
そこで、憲法第96条について改めて論じたい。まず、「国会がこれを発議し」の発議の意味は、改憲案を国会に提出することではなく、改憲案を作成して、国民に提示することをいう。通常の法案は衆20、参10名以上の賛成で発議されるが、改憲案は衆100、参50名以上の賛成を要求している(国会法第68条の2)。内閣に改憲案の発案権があるかについて学説が分かれている。国会法には国会議員と憲法審査会の発議権のみ規定されているが、これは内閣の発案権を否定するものではないと解するのが妥当である。次に、「各議院の総議員の3分の2」の「総議員」の意味である。学説は、法定議員数(衆480、参242)説、現在議員(欠員を除く)説、院内事項(各院で決定可)説とあるが、厳格に解し、慎重審議すべきという立場から法定議員説が妥当である。本会議の定足数も法定議員で行われている。投票の方式については、(1)内容の関連性と無関係に条項ごとに賛否を尋ねる方式、(2)改正条項をすべて一括して賛否を尋ねる方式、(3)関連性のある条項をひとまとめとし、まとまりごとに賛否を尋ねる方式がある。(1)説には相互不可分な条項間で賛否が分かれた場合の問題があり、(2)説には抱き合わせによって国民が混乱するという問題点があったので、(3)説が採用された。ただ、「関連する事項」の意味内容は曖昧なので、同時に複数の改正案が発議された場合はやはり混乱が予想される。発議の時期をずらすのも考えられる。国民投票権者は18歳以上とされたため、公職選挙法、民法、少年法等の規定をそれぞれそろえる必要性が生じた。国民投票法附則において、施行(2010年5月)までに必要な法制上の措置を講ずることを定めているが、いまだに法整備は整っていない。投票期日については、国会発議から60日以後180日以内と定められているが、もう少し熟慮期間が必要であると思われる。国民投票の「過半数」の分母についても学説が分かれている。(1)有権者総数説、(2)投票者総数説、(3)有効投票総数説とあるが、(1)説は棄権した者が反対票に数えられてしまい、反対派による棄権運動が起こる危険性があり不当、(2)説は無効票を反対票として数えることになるので不当ということで、国民投票法は(3)説を採ったが、近年(2)説も再評価されている。最高裁裁判官の国民審査で採用されている最低投票率1%の制度は国民投票法では採用されなかったが、投票率が極端に低い場合に有効投票数を分母として過半数が決められると、改正の正当性に疑問が持たれることになろう。