私が考える憲法改正の論点

桜内文城先生

講話日:平成25年9月25日(水)

桜内文城先生

衆議院議員・日本維新の会政策調査筆頭副会長

講演要旨

 日本国憲法の前文には、「そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。」とある。これは、信託説に基づいた記述であり、非常によくできている。社会契約としての信託説は、「政府が権力を行使するのは国民の信託によるものであるとし、もし政府が国民の意向に反して生命、財産や自由を奪うことがあれば抵抗権をもって政府を変更することができる」というジョン・ロックの考え方に基づいており、日本国憲法ばかりでなく、アメリカの独立宣言にも同様の記述がある。公会計の立場からいうと、政府の「受託者責任」の明確化(パブリック・アカウンタビリティ)を行っているのだといえる。すなわち国民は、納税するという行為を通じて、政府に対して信託を行っている。信託した代わりに国民は政府から信託受益権(基本的人権など)を得ている。信託された政府はこれにより受託者責任が生じており、人権の保護や適正な予算編成などを行わなければならない。したがって、決算報告を国民が了承した時点で、受託者責任は遂行される。逆に政府が責任を果たせなければ、権限を返上しなければならないということだ。このように厳格な社会契約が規定されている日本国憲法であるが、実際の日本の社会はどうだろう。責任の所在が明確ではなく、誰も責任をとらないという社会である。これではいけない。たとえば内閣は執行を行う機関であり、国会は立法を行う機関であり、意思決定機関であるにも関わらず、国会議員からは法案がほとんど提出されず、内閣からでてくるものばかり、というのは嘆かわしい。内閣、国会、官僚は権限をしっかり分けて、責任を明確化すべきである。
 また、民主的意思決定では多数決が採用されているが、それだけでは少数者の意見が反映されないという問題がある。声なき声を政府の意思決定に反映させる必要があると考える。ここにも公会計制度の考え方で解決できる問題が存在する。このように憲法論と公会計は一体化して考えた方がいいというのが私の立場である。
 次に、現行憲法で私がどうしても改正したい点を挙げたい。(1)前文にある「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。」という部分は、安全保障上から、まったくありえない。削除すべきである。9条については、陸海空軍の保持を明確にするべきだ。(2)75条5項に内閣の事務として「予算を作成して国会に提出すること」とあるが、こんなことをやっているのは日本だけ。予算は法案として国会議員が提出し、国会で決めるのが世界の常識だ。(3)72条に「内閣総理大臣は、内閣を代表して議案を国会に提出し」とある。そもそもこの規定があるから内閣が法律案をつくり、国会議員がつくらないという風潮が生まれてしまったのだ。また、統治機構のあり方についても述べたい。先ほど述べたように権限と責任の所在があいまいなのを改めるべきである。また、新規参入規制はすべて排除するべきだ。なぜなら規制するのは、守るべき既得権があるからで、その既得権には理論的に説明できる存在理由がない。などなど、多岐にわたり中味の濃い内容であった。

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