沖縄での活動報告
講話日:平成31年2月28日(木) 當山正範先生 自主憲法制定沖縄県民会議副会長 |
講演要旨
そもそも辺野古は地元が誘致
昭和32年、久志村(現在の名護市東部)の比嘉敬浩村長が、再三米軍を誘致した証拠が残っています。久志村の隣の金武村でも、基地の誘致決議を行い、村議会議長や村長らが琉球列島アメリカ民政府を訪れています。これに、海兵隊が応じて基地(キャンプ・シュワブ)をつくったのです。当時、その地区は、畑にすることもできない土地だったため、少しでも地元にお金が落ちるようにと考えた措置でした。これらは昭和32年10月の「沖縄タイムス」や「琉球新報」にも掲載されています。
沖縄に、台湾人戦没者慰霊碑を建立
戦争で亡くなった台湾人を慰霊するため、昨年6月、私も参加している「日本台湾平和基金」が中心となって、台湾人戦没者慰霊碑を建立しました。その除幕式には台湾の李登輝元総統も出席し、日本語で、挨拶されました。台湾の人は、「日本のおかげでいまの台湾がある」と言ってくれるほど親日的。台湾と日本は手を携えて、アジアの平和を守っていかなければなりません。
なお當山先生は、上記を裏付ける沢山の資料も配布され、大層勉強になり、一同その活動に感動した。
昭和32年、久志村(現在の名護市東部)の比嘉敬浩村長が、再三米軍を誘致した証拠が残っています。久志村の隣の金武村でも、基地の誘致決議を行い、村議会議長や村長らが琉球列島アメリカ民政府を訪れています。これに、海兵隊が応じて基地(キャンプ・シュワブ)をつくったのです。当時、その地区は、畑にすることもできない土地だったため、少しでも地元にお金が落ちるようにと考えた措置でした。これらは昭和32年10月の「沖縄タイムス」や「琉球新報」にも掲載されています。
沖縄に、台湾人戦没者慰霊碑を建立
戦争で亡くなった台湾人を慰霊するため、昨年6月、私も参加している「日本台湾平和基金」が中心となって、台湾人戦没者慰霊碑を建立しました。その除幕式には台湾の李登輝元総統も出席し、日本語で、挨拶されました。台湾の人は、「日本のおかげでいまの台湾がある」と言ってくれるほど親日的。台湾と日本は手を携えて、アジアの平和を守っていかなければなりません。
なお當山先生は、上記を裏付ける沢山の資料も配布され、大層勉強になり、一同その活動に感動した。