公益と人権を考える!

高乗正臣先生

講話日:平成25年12月24日(火)

高乗正臣先生

平成国際大学副学長・同大学院教授、憲法学会理事長

講演要旨

 憲法改正については3つの論点がある。(1)日本の国柄について、(2)安全保障規定について、そして、本日のテーマである(3)公益と人権との調整がこれである。
 憲法が権力制限規範として国民の人権を保障するという性格を有することを考えれば、日本国憲法に多数の人権規定が置かれていることは当然である。それよりも、憲法改正に当たって問題とすべきは、これらの人権保障の範囲と限界についてである。戦後の憲法学界に最も大きな影響を与えた学者といえば、東大の憲法講座担当者・故宮澤俊義教授が挙げられる。教授は「人権に対して規制を要求する権利のあるものとしては、他の人の人権以外にはあり得ない」「国家そのものすら人権に奉仕するために存在する」と述べた。いわば「他者加害禁止の原理」といわれる見解である。この理論は、長い間、憲法学の人権理論の主流となった。最近まで、このような人権至上主義的な理論が増幅されて、自己決定権の理論にも影響を与えていた。そこでは、「自己決定こそが至上の価値」であり、「性道徳の維持」や「青少年の健全育成」よりも個人の自己決定権を優先させるべきである。分別能力の有無にかかわらず、他人に迷惑をかけず、自己責任で行っていることは規制すべきでないという学説も出てきた。そこでは、不明確で可変的な道徳律などを排除し個人の自己決定権を優先させるべきだ、と説かれる。本日は、このような議論の当否を問題としたい。
 まず、比較憲法的視点から各国の人権規定のあり方を見てみよう。ドイツのボン基本法2条1項は「何人も、他人の権利を侵害せず、かつ憲法的秩序または道徳律に違反しない限り、その人格の自由な発展についての権利を有する」と規定している。また、世界人権宣言29条2項は「すべての人は、自己の権利及び自由を行使するに当っては、他人の権利及び自由の正当な承認及び尊重を保障すること並びに民主的社会における道徳、公の秩序及び一般の福祉の正当な要求を満たすことをもっぱら目的として法律によって定められた制限にのみ服する」と定めている。他の多くの国の憲法(例えば、イタリア、スイス、韓国)も、人権を制限する論拠として「他者加害禁止原理」以外の社会的・国家的利益を掲げている。
 また、たとえば刑法92条の「外国国章損壊罪」は、「外国に対して侮辱を加える目的で、その国の国旗その他の国章を損壊し、除去し、又は汚損した者は、二年以下の懲役又は二十万円以下の罰金に処する」と定めている(一方、不思議なことにわが国の国旗を損壊しても罪に問われない)。この刑法92条の規定は、わが国と相手国との有効な外交関係を維持するための規定、つまりわが国の国家的利益を守るための規定だと考えられる。もし、憲法の趣旨が「人権を制限できるのは他人の人権だけである」というものならば、この刑法92条の規定は憲法違反だということになる。さらに公務執行妨害の罰則が一般市民への暴行などと比べて重いのも、選挙運動にさまざまな制限がなされているのも、憲法違反とされてもおかしくない。つまり、人権制約の論拠は「他者加害禁止の原理」のみであるという見解は、世界の憲法を読んで見ても、国内の法律との整合性を考えてみても、誤りであると断じざるを得ない。
 私は、人権制約について、宮澤教授の「他者加害禁止の原理」以外に、次の3つのカテゴリーが存在すると考えている。(1)公共道徳および伝統文化の維持・確保:青少年の健全な育成のためにする有害図書の販売規制や猥褻文書の頒布禁止、売買春の禁止などは性道徳の維持を根拠にして正当化される。墳墓の発掘や遺骨・遺髪の損壊、礼拝所に対する不敬行為の処罰などは、わが国の伝統文化・宗教意識を除外しては説明できない。(2)国家機能の確保と国家の安全保障:公務員が職務上知り得た秘密は退職後も漏えいしてはならない、合衆国政府から供与された装備品に関する防衛秘密を漏らしてはならない、といった規定は、正常な国家機能を確保し、民主的な憲法秩序を維持し、国の安全を確保することが、国民共通の利益であると考えなければ説明できないと思われる。(3)社会政策的目標の実現:経済的自由(営業の自由)にある程度の規制を加えて、経済的・社会的弱者を保護し、それに国家的援助を与えることは認められるべきである。たとえば大規模店舗に対する営業規制や中小企業に対する各種の保護措置などがこれにあたる。いずれも、個人の人権のレベルでの議論では説明できない。
 近年、ようやく上に述べた私の見解に賛同してくれる憲法学者が増えてきた。「人権に対して規制を要求する権利のあるものとしては、他の人の人権以外にはあり得ない」という宮澤教授の理論は、過去のものになりつつある。

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