教育と憲法
── 各国憲法の教育条項の検討 ──
講話日:平成24年9月4日(火) 高乗智之先生 高岡法科大学法学部准教授 |
講演要旨
我が国では、教育内容を決定する権利の所在がどこにあるのかが、大きな議論のテーマになってきた。2つの説が対立しており、ひとつは国家が決定権をもつとする「国家教育権説」、もうひとつは国民(親や教育の現場)が権利をもつとする「国民教育権説」である。この2説について長きに亘って議論が重ねられてきたが、「旭川学力テスト裁判」の最高裁判決により、一定の決着がついたと一般に理解されている。しかし、この判決は、これら2説のどちらかが正しいと決着させたものではなく、子供の権利、親の権利、私学教育の自由、教師の教授の自由、国の権限をそれぞれ列記したものであり、本質論を欠いた教育権分配論といえる。そもそも教育権の本質は、「共同体の自己保存機能に基づく国家の教育権」というところにあると考える。憲法上の教育規定は、外国ではどうなっているか。主要国では、憲法で教育権を規定せず、それぞれ下位法で定めている。逆に、発展途上国や社会主義国では、憲法に教育目標規定のある国が多い。いずれにしても、国家が教育権をもつ、ということを自明の理として位置づけて、制度を構築している。日本のように国家か国民か、といった議論は行われていない。私も諸外国と同じように、「国家教育権説」に立つべきなのだろうと考えているが、共同体の有する教育権が国家権力機関に白紙委任されていると考えることはできず、また立憲主義の理念からみれば国家機関が国民に思想を強制的に注入することはできないという立場である。教育権の所在に関する規定を憲法上に規定すべきか否かについては、まだ明確に結論をだすには至っていない。もしも、教育内容の決定権を憲法に明文化するのであれば、教育を受ける権利とは別に、権力濫用防止という意味で国民教育についても規定すべきだ。