憲法第9条・自衛権・自衛隊
――保守派による自衛隊違憲・改正論――
講話日:平成23年2月16日(水) 高乗正臣先生
平成国際大学大学院教授・ |
講演要旨
我が国は、これまで第9条を解釈で補って合憲としてきたが、近年、近隣諸国の対日政策の実態からして、もはや解釈で補う限界を越えてきていると思われる。したがって、私は、ここで、あえて自衛隊は第9条に違反しているとの声を挙げ、第9条改正を急ぐべきことを、世に訴えたい。自衛隊違憲論者の左翼憲法学者を中心に約8割は自衛隊を違憲としている。宮沢俊義東大教授の「武力なき自衛権論」はその一つであるが、自衛権は国連憲章の規定により、武力攻撃が発生した場合に発動が許される国家固有の権利であり、武力とは不可分の関係にある。よって「武力なき自衛権」という概念は成り立ちえない。この学説に影響されて、「長沼ナイキ第一審判決」で自衛隊違憲判決が出されたが、警察力や外交力、民衆蜂起などで外国の侵略に対抗できるはずがない。そこで、芦田修正(第9条2項の「前項の目的を達するため」)を重視し、第9条1項に「国際紛争を解決する手段としては永久にこれを放棄する」とあることから、自衛戦争のための戦力保持は否定されていないと解釈する合憲説が提起された。しかし、この説にも上記の文言にことさら重点を置きすぎている点で問題がある。第2項の「前項の目的」とは第1項の冒頭に掲げられた「日本国民は正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し」であって、自衛戦力の保持を否定していないというには少々無理がある。そもそも戦力を自衛のための戦力と侵略戦争を行うための戦力とに分けるという考え方も採用できない。世界諸国の憲法を見ても「侵略のための戦力を持つ」などという条文はなく、建前上軍事力はすべて「自衛のための戦力」である。また、政府の公式解釈は、自衛権の根拠を第13条に見出し、陸海空軍等の戦力は保有できないが、自衛隊は戦力に至らない必要最小限度の自衛力であるから合憲である、との学説に影響を受けている。警察力と戦力の中間に自衛力という概念を設けるものであるが、戦力と自衛力の区別が曖昧で、憲法が保持を禁止している戦力とは自衛のための最小限度を超えるもので、自衛力は戦力に至らないものを指すというのは循環論法である。よって「戦力ではない自衛力」という概念は政治的概念としては存在しうるかもしれないが、法律学的には成り立たないし、「集団的自衛権は保有するが行使はできない」などという苦しい解釈に終始している。最近の有力説として、自衛権は武力の保持と行使を不可欠とするから、一切の戦力保持を認めない現行憲法は自衛権を放棄したと解する説がある。理論的には正しい面もあるが、国家の最低限度の責務は国民の生命・自由・財産の保全であり、その権利たる自衛権を放棄するということは国家であることを放棄しているに等しいという致命的な欠陥がある。つまり、今まで述べた第9条の解釈はどれも採用しえない。また、一般的に軍隊とは、外敵の武力攻撃に対して国土・国民を防衛する目的にふさわしい装備を有する実力部隊のことを言い、このような軍隊や有事の際に転化しうる部隊が第9条で保有を禁止される戦力である。この定義を自衛隊に当てはめると、客観的に戦力に該当するといわざるを得ない。現行憲法を解釈する限り、自衛隊を合憲として解釈することはできないということを明らかにし、解釈改憲に逃げることなく、真正面から国民に向かって改憲の是非を問うことが必要である。7割の国民が何らかの形で自衛隊の必要性を認めていることからも、保守派の側で、自衛隊が今違憲状態である以上、憲法改正すべきである、という論拠を提示することが必要だ、とのお話で、その後の意見交換も活発でした。